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◎補彩を考える ─欠けた色を補う方法─

はじめに

補彩とは、簡単に説明すると、絵画など彩色のある作品に絵の具の剥離や亀裂、欠損が生じた場合、途切れた線や色面を補い、壊れたイメージの回復を目指し、新たに描線、彩色する修復作業を指していう。この補彩は、作品の組成構造によって大きな制約をうけるが、西洋絵画の代表格といって良いだろう油彩画と、東洋の補彩には、その考え方と処置方法に大きな違いがある。

 

油彩画の補彩方法

一般に、西洋の伝統的な油彩画は、東洋会画にくらべて基底材料(支持体ともいう=絵の具ののせられる画用紙や画布、板などの画材の総称)となる画布(キャンバス、麻織物が多い)は厚く頑丈で、なお絵の具の塗り方もあらかじめ画布に膠を染み込ませた後、ちょうど家屋の壁よろしく石膏などをきれいに塗って下地をつくり(昨今ではすでに白色の合成樹脂地塗が施されたキャンバスが既製品として販売されている)、その上に絵の具を塗り重ねるなど、多層な構造になっている。これはかの画布に直接油が染み込むと、画布が傷んでボロボロになってしまう事を知ってのことであるが、完成した油彩画は、下地塗から見ると断面は積層構造となり、かなり厚くなる。

油彩画の補彩方法

油彩画の補彩は、この多層構造を利用し、画布の欠損部には画布を埋め、下地塗を再形成した後にニスなどを塗って透明な樹脂の膜をつくり、オリジナルの絵画層を遮断して、この透明な膜の上に補彩をおこなうことができる。巧みにこの方法を用いれば、オリジナルの絵の具と補彩の絵具の間に隔壁を設け、直接接触することなく、さらにニスの種類と調合、塗布方法によって、後に補彩した部分を除去しやすくすることも可能だ。

 

日本画の補彩方法

一方、日本における東洋会画の基底材は、薄い和紙や向こうが透けて見えるような絹織物で、滲み止めとして礬水という膠水溶液に明礬(乾燥するとほぼ透明になる)を加えたものを事前に塗布はするが、油彩画のような地塗はなく(絵の具の発色をよくするべく、裏彩色といって、絵の具を塗布する部位の裏面より彩色する事もあるが、油彩画の絵画層のベースの様なものではない)基底材に染み込ませるように直接描いてゆく。

日本画の補彩方法

日本画など東洋の絵画は、油彩画に用いるようなニスも塗る事が出来ない。詳しくは先述の『Column 絵の具の話』も参考にしてもらいたいが、もともと絵の具の組成が異なる東洋会画は、ニスなどを塗ってしまうと風合いが激変(濡れたような濃い色になり艶が出る)してしまうから絶対に塗布は出来ないし、油彩画のように基底材(画布、料紙などの総称として、支持体ともいう)の上に下地塗りも施さないので、補彩をしようと思えば、常に直接オリジナルの基底材料の上、作者が製作したイメージと同じレベル上に補彩をおこなう事になり、これがオリジナルの変造や変質につながる。ニスなどの遮断層も形成できないので、いくら欠損部に限定して補彩をしようとしても、補彩時に塗布する絵の具は損傷の周囲に極めて吸収されやすい。
基底材の欠損した場合は、比較的この危険も回避出来る可能性が増え、補彩もしやすくなる(倫理的に?)。欠損の部分に代替の基底材料を充填する必要が生じるので、そこに事前に彩色を施せば、オリジナルの基底材には彩色されないことになって、一応は、保存修復の倫理にも抵触し難くなる。しかし、それでも指定文化財となった東洋絵画の補彩は、損傷部周囲の基底材料が持つ色に染める事こそするが、描線、彩色はおこなわない。これも作品の持つオリジナリティー(信憑性、信正性)を守るために、現状にもともとなかったものは加えないという、現状維持、保存の理念に従ったものである。

 

バレリー氏の補彩方法

過日開催された文化財保存修復学会の研究発表中に、東京国立博物館に勤務するValerie Leeらによる浮世絵に関する展示、補彩例が紹介された。
浮世絵は近年、西洋の版画作品の展示に習って、作品の周囲を取り囲むように作品よりやや大きく裁断し、有効画面サイズに厚紙をくり抜いた通称マット(ペーパーマットともいう)というモノを画面側から覆って展示利用する事が多い(以後マット装幀とよぶ)。この方法は、作品に直に触れず作品を挟んだ厚紙を持ってハンドリング(取り扱い、持ち運び)ができるメリットがある一方で、わずかに作品の周囲を隠さなければならないデメリットが生じるので、イメージやなんらかの記述、情報が基底材料の先端あたりにもある資料や作品には適さない。

マット装幀

発表中に指摘されていたように、もともとの浮世絵の利用形態はポスターやブロマイドのように、単体(サイズ、形態)で利用する事が歴史的に観ても常であった事を考えると、こういったマット装幀はあくまでヨーロッパの版画の取扱い方法にならったもので、伝統的には正当な観賞方法とは言い難い。研究発表者はこの問題点を解決するべく、マット装幀をやめ、作品の裏面にのみ作品サイズよりわずかに大きく裁断した厚紙をつくり、これに作品を固定し、ほぼ本来の大きさに展示でき、なお厚紙によって薄っぺらな紙でできた浮世絵をより安全に取り扱える方法を提案した。これ加えて、虫食いの穴など、欠損した部位への補彩も作品に直接おこなうのではなく、作品背面に固定した厚紙に描線や彩色をおこない、欠損部から除いて見える色や線によって鑑賞性が補われる様にした。一般に、浮世絵の類いの木版画は、絵の具の定着が脆弱で、わずかな水分にも反応する(絵の具が滲んだりする)ため、欠損部への料紙の充填地に用いる接着剤や、補彩時に利用する絵の具に含まれる水分も問題になるので、作品本体には何も加えない(ほぼ触らない)この修復方法は、取扱い性、鑑賞性にも貢献をし、先述の理念にも忠実な方法と言えるだろう。

バレーリー氏の補彩方法

    

かつて浮世絵版画は陶磁器の輸出などに梱包材、緩衝材として捨てられて行った歴史がある。これを見つけたヨーロッパ人はそこに美術品としての大きな価値を見い出し、日本にも見直しを迫った。彼等は、それまで日本にはおそらくなかったような鑑賞法や情報の読み取り方を教示し、日本が見捨てた浮世絵版画の文化的、歴史的な価値の再確認に貢献をしてくれたかと思う。そして、ここにまた再び、日本の国立東京博物館からヨーロッパ人による浮世絵の修復方法が提案された。

 

*参考:2006年第28回文化財保存修復学会 第28回大会研究発表要旨集73頁 
『浮世絵の保存修復と展示に関する新しいアプローチ』 Valerie Leeほか

 

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