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絵画修復事例012.
『陽傘の下』 竹谷富士雄 作『陽傘の下』
─絵の具の亀裂と剥離の修復─

◎資料の内容
名 称 : 『陽傘の下』  制 作 : 竹谷富士雄  年 式 : 1942年  組 成 : 油彩画/キャンバス  装 幀 : 額装

処置前作品寸法 H722~726 x W1000mm(中央で湾曲)  旧 木 枠 親木50x20mm 桟35x10mm(桟は中央縦、短辺に1本)
額 寸 法 H855 x W1132 x T50mm

修復後作品寸法 H728~729 x W1002mm  新 木 枠 親木48x25mm 桟48x17mm(桟は横、長辺に1本、縦、短辺に2本装着)
額 寸 法 旧額再利用(加工、変更等なし)

   

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◎修復前の様子。額装幀されていたが、ガラス、裏板の装着もなく、塵埃の付着、堆積も目立った。

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損傷が目立った右辺部分。縦方向に大きく亀裂が入る様に絵の具が剥がれていた。

損傷部には浮き上がった絵の具膜が反り返って隆起していた 。右画像は左下から浅い角度で光を当てた損傷部の様子。

 

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損傷部には傷口を大きく覆う様に、健常部にも及んで絵の具が塗布されていた。



◎資料の特徴・修復前状況
本作品はキャンバスに描かれた油彩画。大胆な構図と穏やかな色彩による構成、背景には縦に短い線を引く 様な独特の筆致が見られ、フランス印象派の影響が窺える作風となっている。資料によると、本作品は 1942年の夏季、裏磐梯で製作されたもの。
絵の具層は比較的に薄く、画面上に大きな凸凹もなく平均しており、部分的にキャンバスのテクスチャー (折り目)が反映している箇所が見受けられる。
地塗りについてはキャンバス周囲の裁断部の先端まで均一に塗布されていることから、塗布済みの既成品が 利用されたものと思われ、描画については側面、木枠への張りしろ部分(釘を打ち込んである部分)に絵の 具の塗布がないことから、木枠に張られた状態で描かれたものと思われるが、本作品キャンバスの側面、張 りしろ部分には、釘のない釘穴があること(側面から見ると、打ち直した釘が下に、古い釘穴は上方、画面 側にあった)、左右両側には絵画のない余白部分が露出(画面の天地には余白の露出無し)していたことか ら、キャンバスの張り直し、木枠の交換、画面の拡張が行われたものと思われる。


ちなみに、日本のキャン バスサイズ表によると、30号Fが909x727mm、40号のPが1000x727mmとなっていることから、製作後の サイズ変更か、あるいは現在まで使われてきた額に合わせて長辺を拡張したものと推測する。
木枠の交換は 描画後間も無く、まだ絵の具が完全に固化しない状態で画面サイズの変更を行った模様で、画面上に貼りし ろ余白部が露出している左右先端、木枠の側面にあらためて釘を打ち込んだあたりは、キャンバスが部分的 に引っ張られて、描画領域先端が波状に変形していた。
キャンバスは平織り、1センチあたりに縦糸17~18、横糸16~17本となっており、織りムラ、糸玉など多い ものとなっている。 キャンバスの木枠への固定は専用の足の短い釘を使用。打ち込まれた釘は錆び化が進んでおり、これにより キャンバス繊維を侵食して、釘穴が大きくなったり、釘穴が大きくなることで釘の固定効果が失われ、部分 的にキャンバスが緩み、周囲に小さなシワ、波打ち変形が生じている箇所が見受けられた。
キャンバスが固定されている木枠には、補強のための桟が1本、中央部に装着されていたが、ほぞ組みされ ておらず、四辺の枠(親木【おやき】などと呼ばれる。通常、内側に装着する桟材よりも太く丈夫なものを 使用する)を組んで後、木枠の裏面に載せる様にして、釘で打ち付けた状態となっていた。なお、この桟が 装着されていた部分(画面の中央部)は天地辺の枠材がが内側に湾曲しており、画面の高さが左右両端より 5mmほど小さくなっていた。 木枠の左右下隅、縦枠材と横枠材の嵌め合わせ(臍組)部には大きな材料欠損があり、結合力が失われ、こ れを補強をするためか、釘が打ち込まれていた。この釘は木枠の表側より乱雑に打ち込まれており、釘が木 枠の厚さよりも長かったためか、背面に突出した釘の先端は適当に折り曲げてあった。この釘は錆び化が顕 著であった。とくに木枠に大きな欠損が生じていた画面の左下、作者サインの記されていた箇所には、キャ ンバスを固定するための釘を打ち込む場所がなく、打ち込まれていた釘も効果をなさず、キャンバスの固定 力が部分的に失われ、小さな範囲ではあったが、不規則な波打ち変形が生じていた。

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木枠の左右下隅には大きな材料欠損があり、この部分のキャンバスは固定力を失って歪んでいた。

 

本作品の右側には縦方向に長く、天地に至る数カ所の亀裂と、亀裂に伴う絵の具層、地塗り層の剥離、欠失 が認められ、この損傷部周囲には絵の具幕がテント状にカールして浮き上がっている様な箇所も見受けられ た。
この損傷部分には過去の修理跡があったが、絵の具、地塗り材が欠損し、キャンバス生地がむき出して凹状 になった部分に直接彩色を行い、さらに周囲の健常部にも及ぶ加筆、彩色が認められた。この彩色は比較的 厚く絵の具が塗布されており、同処置部の裏面は絵の具の浸透によるものか、部分的に濡れたように黒く変 色している箇所が認められた。この旧修理に使われた絵の具は、水、各種溶剤に反応せず、紫外線による反 応も目立たなかったことから、本作品と同質の絵の具、油彩絵の具ではないかと推測する。ちなみに、油彩 絵の具は固化すると除去が困難になるため、現在では修復処置には使用しない。現代の絵画修復技術におい ては、オリジナリティー保護の観点から、健常部分と処置部を明確に区別できるようにするため、およそ肉 眼では確認できないように処置しても、作品に使用されているものと同じ画材は用いないことが通例となっ ている。 このほか、人物の唇の上あたり、左下方スカートを描いた箇所にも微細な絵の具層の剥離、欠失が認められ た。

本作品は額装されていたが、画面側を保護するガラス、裏面の保護もされておらず、作品の周囲に額縁のみ 取り付けた状態で長く展示利用され続けた模様で、画面の汚れに加えて、とくに裏面は塵埃の堆積が著し く、キャンバスと木枠の隙間には虫鞘や害虫の死骸なども発見された。 作品と額の固定方法については、額縁4辺の裏面、中央あたりに太い釘を打ち込み、これをを折り曲げるよ うにしてキャンバス木枠を押さえて固定されていた。



◎修復処置概要
作品(キャンバスは木枠に固定されたままの状態)を額より取り外し、電気掃除機、ブラシ、ケミカルスポ ンジなどを用いて表裏に付着体積した塵埃を取り除いた。同時に額の清掃も行った。

作品右側に発生していた亀裂損傷、絵の具が剥離、剥離進行している付近を清掃、エタノールで消毒した 後、膠水(ホルベイン製ウサギ膠/精製水を加えて重量比8~10%に調整、湯煎溶解)を塗布、注入、含浸さ せ、薄手のレーヨン紙をかぶせてしばらく起き、およそゲル化したところで修復用電気鏝(温度調節が可能 なもの)を使って加温加圧し、浮き上がった絵の具を元の位置に戻し固着させた。

作品キャンバスの側面、張りしろ部の古い釘をすべて取り除き、旧木枠を分離し、木枠に覆われていた箇所 にたまっていた塵埃をあらためて清掃、除去した。清掃後は簡易ながら、殺菌消毒として80パーセント程度 に調整したエタノールを表裏にスプレーした。

作品左下隅に生じていたキャンバスの波打ち、変形箇所は、加温加圧して変形修正を行った。

専用の保温機を使って40度程度に温めた純水を綿棒、歯科治療用コットンロールなどに軽く含ませ、作品画 面の筆致にそって優しく拭い、濡らした箇所を乾いた綿棒、コットンロールで拭うことを3回ほど繰り返し て洗浄処置とした。

作品の右側、亀裂が生じている箇所にあった旧処置の絵の具、とくに健常部分に塗られた部分については、 修復用の温風装置(細いノズルから温風を出すことができる装置、処置時には健常部分を厚手の紙や字消し 用のプレートで覆って作業した)で局所温め、絵の具表面がわずかに緩んだところでキシレンを染み込ませ た綿棒で可能な限り擦り取るか、絵の具が厚く塗り重ねられているような箇所については、拡大鏡下でメス などを使って物理的に除去、軽減した。

今回、処置当初は木枠も作者の用いたオリジナル部材として保存することを考慮したが、損壊、材料欠損が 大きく、さらに木材の経年による収縮によって、木枠四隅の結合部分も著しく弛緩しており(打ち込まれた釘 を除くと簡単に外れてしまうような状態)、とくに下2隅の木枠の結合状態が極めて不安定であったこと、 材料欠損によって下隅にはキャンバスを止める釘を打ち込む場所もないこと(キャンバスをしっかり固定で きない)、作品キャンバスが接触する部分に錆びた釘が接触していたこと(キャンバスが汚染される)、天 地辺の木枠材が凹状に湾曲していたことなどから、すでに木枠本来の機能は失われ、再利用することは修復処置後の作品の長期安定を望めないものと判断し、新しい木枠と交換することにした。
新しい木枠はマルオカ工業製。処置前の画面寸法を変えないように(変更した場合は張りしろ部分の折り曲 げ箇所が変わり、旧額が利用できなくなる)、40P既成サイズ(日本サイズ)を使用した。

作品キャンバスを新しく用意した木枠に固定するため、さらに古い釘穴の修理、補強を兼ねて、張りしろと なる部分には裏面より麻布を貼って補強した。接着剤はシート状になった接着剤(BEVA/熱可塑性合成樹脂)を使用し、木枠への固定はステンレス製の針とガンタッカーを使った。今回キャンバスの固定に使用し たコの字型のステープラー針は、耐サビ性があり、一般に使用されている釘(点で支える)よりも捉える糸 の数も多いため、キャンバスはより安定したテンションを保持できる。

作品右側に絵の具が欠失している箇所に、合成樹脂と顔料を混合したペーストを充填し、充填部が固化した 後、周囲の絵の具の厚さ、筆致に合わせて整形した。

先に充填した部分と、健常部に塗られた加筆部分(除去できなかった部分)に樹脂絵の具(Schmincke MUSSINI )を用いて周囲の彩色に合わせた補助的彩色を行なった。

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◎修復後の様子

剥離進行し、反り上がっていた絵の具も収まり、欠損した部分は充填材を注入、補助彩色により良好な鑑賞性を取り戻した。

旧木枠は材質的にも問題があり、一部損壊して機能が低下していたため、新しい物と交換した。

◎記録、装置ほか
修復処置前、処置後の状態をデジタルカメラで撮影した。カメラはCANON EOS D5MarkII (デジタル一 眼レフレックスAF・AEカメラ、撮像画面サイズ35ミリフル画素CMOSセンサー/有効画素数約2110万画 素)、レンズに EF50mm F 1:1.4を使用した。撮影時の光源はLED照明(相関色温度5000K)を使い、 ホワ イトバランス調整のうえマニュアル露出、最高画質モードで撮影した。 なお、一部作業中の撮影について は、CANON eos M5 (デジタルミラーレス一眼レフレックスカメラ APS-Cセンサー/有効画素数2420万画 素 EF-M15-45mm)を使用し、プログラムモードで撮影した。撮影したデータはMacintosh(OS X 10.14.6) を介しjpegフォーマットにてDVD-ROMに記録した。
洗浄に使用した水は、水道水を中空糸膜フィルター、活性炭フィルター、イオン交換樹脂フィルターを通し て純水化した水を使用した。純水精製装置はオルガノ株式会社製を使用。

【竹谷富士雄】
1907年(明治40年)新潟県中蒲原郡生まれ。大正14年上京し、一時太平洋美術研究所で学ぶ。翌15年法政大学経済学部に入学、昭和6年卒業し、翌7年渡欧。ベルリンに半年滞在した後翌8年パリに移り、シャルル・ブラン研究所、後半林武のアトリエに通う。10年帰国し、11年第23回二科展に「姉妹」が初入選、この年藤田嗣治に師事する。16年師藤田の二科会退会に従い同じく二科を退会、新制作派協会に転じ、戦後も新制作展に連年出品するほか、美術団体連合展、秀作美術展、現代日本美術展、日本国際美術展、ピッツバーグ国際美術展(42年)、国際具象派美術展、国際形象展などに出品した。
44年渡仏し、51年帰国するまでパリにアトリエを構えた。昭和15年の第1回個展以来、パリなどでも個展を開催、44年新潟県美術博物館で竹谷富士雄、小野末、富岡惣一郎による県人三人展が開催された。
フランスの街景や田園風景をモチーフに好み、パステル調の叙情的な作風で知られた。また大仏次郎、瀬戸内晴美、丹羽文雄らの連載小説の挿絵も手がけている。

参考:日本美術年鑑ほか

 

 

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