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絵画修復事例006.

 伝 会津八一 作 木板彫刻(扁額) 
─屋外におかれた木板彫刻(扁額)の修復処置─

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◎修復前の状態、全体に汚れが目立ち、脂の様なものが固着していた。

作 品:木板彫刻扁額『孤 陶 洞』  寸  法:高さ521-525ミリ 幅951-953ミリ 厚さ45-56ミリ  重 量:12Kg

修復前の状況

1.組成構造
本作品は松材と思われる一枚板に彫刻が施された作品。材料は板目に裁断された一枚物で、木目が複雑に入り組み、節も多く見られる。揮毫を模した彫刻部は、細めの丸型の彫刻刀が使われた様子で、『孤 陶 洞』の3文字を切削痕を残したまま粗く仕上げている。なお、落款、サイン等の彫刻、記録はない。作品表は、周囲より内側に傾斜を付けて全体を平滑に削りおろし、額縁の様相を現し、面を落として中央にも平滑な部分を形成している。そして、この中央部に揮毫した3文字を彫り込んだ形になっており、この手本、元本となるのが会津八一の揮毫である。裏面は下方の一辺のみ角を削ってあり、加えて上部中央には、展示用に紐などを通すための穴が設けられている。

2.損傷状況と旧修理
本作品は長く室外(軒下)に置かれ、風雨や太陽光に晒られていた模様で、損傷状況経年の自然劣化に加えて、変退色、汚損や付着物、小さな擦り傷、凹み傷、亀裂、欠け、朽けなどが多く見られ、わずかであるが虫喰い損傷も見受けられた。また、もとの材の特性と、冠水~乾燥による大きな伸縮によるものか、全体に大きくねじれ、変型していた。
目視観察においてとくに顕著な損傷がヤニの流出で、作品表面の多くの部分に見受けられ、経年によって堆積した汚れを包み込んで変色するか、あるいは流出の激しいところでは固化して盛り上がり、表面は変質して白色化していた。
なお、本作品は近年、台風による被害で、設置してあった軒先きから落下し手折りに数カ所に割れが生じ、調査時にはすでに接合、修理されていた。この時の接合、修理は、木工用の接着剤(酢酸ビニルエマルション主体)で行われ、損傷時に生じた間隙には同様の接着剤と挽木などが混合して充填され、なお塗装されていた。この接合部は、左右に大きく二箇所あり、不用意な施工による接合面のズレ、隙間などが認められ、加えて接着剤のはみ出した部分に変色や違和感のある艶などを認めた。

 

修復の目的、方針等

所有者の希望は第一に観賞性の向上であり、主として作品素材内部から滲み出し、隆起して固化したヤニの除去と全体のクリーニングを行うこととし、加えて旧修理時に利用した余分な接着剤(はみ出した部分)の除去、違和感の感じられた旧充填箇所の除去~再修理も行うこととした。
作業中の観察、調査により、左にあった旧接合箇所は接着面が少なく、大きな隙間もあったことから、接着剤の溶剤としての水分の注入が容易であったため、いったん分離して再修復することとした。
事前の調査の結果、ヤニが発生した部分、それがなお変質、固化した部分ともに、アセトンによく溶解し、エタノールの利用も良好な溶解結果を得られた。


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◎修復後の様子、表層に付着していた脂や汚れはほぼ取り除くことが出来た。亀裂が入っていた箇所も漆を使って目立たぬ様に繋ぎ合わせた。

 

修復処置の概要

1.調査、採寸、写真撮影
装幀を含めた作品全体、本紙の状態を調査、観察、記録し、写真撮影を行った。

2.第一次洗浄(乾式洗浄)
吸引力を調整した掃除機を利用し、ブラシを取り付けたノズルを使って堆積物、付着物の除去を行い、加えてケミカルスポンジによる払拭を行った。

3.第二次洗浄(水溶性の汚れの除去)
微量の炭酸アンモニウムを加えた純水(高純度H2O)に、メチルセルロースを加えて粘度をあげた洗浄剤を薄い和紙越しに作品に塗布し、浮き上がった汚れを和紙に吸収させた。この洗浄後、再び和紙越しに純水をスプレー散布し、汚れの付着が少なくなるまで同様の洗浄処置を重ねて行った。

 

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汚れと脂(ヤニ)が混じり合って固まっていた
和紙(左手)に吸収させた汚れ
洗浄後の様子



4.旧接合部の分離(はみ出していた旧接着剤、充填材の除去)
旧接合箇所にあたためた純水を塗布、あるいは流し込み、旧接着剤が膨潤するのを待って、メスやピンセットを使って可能な限り旧接着剤を除去した。左側の旧接合部分は、この後力を加えて分離した。

5.第三次洗浄(ヤニの除去)
とくにヤニが固化して大きく隆起した部分は、あらかじめメスなどでできる限り切削して取り除いた。この後、ヤニの発生している全ての箇所にハイドロキシプロピルセルロース(Klucel G)をエタノールで溶解し、ゼリー状にしたものを和紙越しに塗布、膨潤溶解したヤニを和紙に吸収させる作業を症状に合わせて数回行った。

6.分離した部分の再接合
以後の接合、充填等修理は、古典彫刻(仏像彫刻など)の修理に習い、漆(日本産生漆)を利用することとした。先に分離した左側の部分は、生漆に小麦粉を加えた糊漆を接着剤として用い、接合後はズレないようにしっかりとクランプして固定し、接合部の硬化安定を待った。

 

7.欠損、亀裂部等の再充填
顕著な欠損部、虫喰や亀裂に対して、漆に木粉、刻苧綿、砥の粉などを加えて調整したパテを充填し、固化後に整形、補彩調整した。補彩は充填部に限定して行った。

8.写真撮影、報告書作成
修復後の写真撮影を行った。本報告書の作成をもって今回の修復作業を終了した。

 

*今回洗浄剤として利用した炭酸アンモニウムは,常温で水によく溶解し、汚れを溶解,除去を容易にすると共に、この水溶液は水分の蒸発の後、炭酸水素アンモニウムは分解して気化する。しかし、一部の顔料に対しては変色を来す可能性があり、利用には厳重な注意が必要となる。今回の様に彩色の無い場合に限っては利用が有効と思われる。

*メチルセルロースもハイドロキシプロピルセルロースも、紙資料、紙を基底材量とする作品の修理に接着剤として利用する。一般には歯磨き粉、冷却シートなど、一部の医薬部外品、化粧品などに粘剤として利用されており、双方とも毒性がなく、可逆性に優れている。今回は、何れも洗浄液の粘性を上げ、作品への洗浄剤浸透、広がりをコントロールし、溶解した汚れを和紙と共に吸着させる働きを狙って利用した。

 

 

◎会津八一(あいずやいち) 1881-1956(明治14年-昭和31年)

歌人、書家、美術史家。新潟市に生まれ、中学時代に新聞俳壇の選者になる。当時北陸旅行中の尾崎紅葉の話し相手を勤めたり、いまだ評価の定まらぬ良寛和尚の芸術をいち早く認め、正岡子規に伝えるなど、早期に才能を発揮した。早稲田大学英文科では、坪内逍遥の知遇を得ることとなり、卒業後は早稲田中学の教師を勤める。1926年以降、早稲田大学で東洋美術史を教え、34年、『法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究』(1933)で文学博士の学位を受けた。45年、戦災にあったのを契機に郷里の新潟に帰り、以後東京には戻らなかった。書家としても名高く、漢、魏、六朝以来の伝統的な中国書道を追求しながら、独自のスタイルをつくりあげた。秋艸道人、渾斎の号を用いた。

 

 

 

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