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絵画修復事例005.

 藤田嗣治 作 デッサン
  ─厚紙に描かれた素描作品の波打ち修正と汚損の除去─


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藤田嗣治作 デッサン(画用紙、ペンに墨) 1929年作 未装幀(額装痕あり)

◎修復前の様子(左画像)
左上方より光を当てて撮影した画像。画用紙に大きな折れ痕、皺があった。右下に破損があり、画用紙の周囲には旧額装時の接着テープが残存していた。

修復前本紙寸法:W427~434×H520~525ミリ

◎修復後の様子(右画像)
変形修正、伸展処置により、わずかにサイズが大きくなった(基本的には元に戻った状態)。周囲に見える薄い紙は変形修正のために取り付けた和紙、この後、額装時に利用した。

修復後本紙寸法:W427~435×H522~528ミリ 

 

作 品 組 成

本作品は藤田嗣治作の素描。基底材は厚手の画用紙で、表面に細かな凹凸のあるものである。描画道具はペンで、墨を用いて描いたようである。画用紙の右下に作者サインとともに、制作年を示すものであろう『1929』の数字が記されている。

 

修復前の損傷状況

作品は過去に額装されていた様子であるが、額より取り外してしばらくおかれていた様子で、今日までの取り扱いによるものと思われる汚損や、皺、波打ち、折れ損傷が目立った。本作品は、パステルなどで製作された作品と共に重ねた状態でしばらく保管されていた様子で、画用紙のの表裏に顔料が付着していた。本作品は、過去に4つに折り畳んで保管されていた模様で、作品の横方向へ3カほど強い折れ筋が発生していた。この折れ損傷の折れ山あたりには汚れや顔料の付着が顕著であった。

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*左画像は処置前(顔前の手の部分と後頭部)の様子。所々に顔料や汚れの付着が認められた。右画像は処置後の様子。

 

本作品には、額装時に額のマットで被覆されていたと思われる部分と、有効画面として露出していた部分に、変退色(光破壊)による色差が認められ、加えて、額材による汚染として、マットの刃先が接触していたのであろう部分に茶褐色の変色が認められた。
作品画用紙の裏面周囲には、旧額装時に作品を固定していたものと思われる茶褐色のテープが張られていた。このテープは、梱包などに用いられるクラフト紙様の紙(酸性紙であった)に接着剤を塗布したもので、接着剤は膠であった。作品のサインしたあたりには画用紙の破損があり、これも裏面より同じテープで固定してあった。

 

修復作業の方針

所有者の希望と作品の状況を踏まえ、主として以下の作業をおこなうこととした。1.折れ筋、画用紙の波打ち等変型の改善。 2.サイン下にある画用紙の破損部分の修復。 3.裏面に張られたテープの除去 4.洗浄と脱酸処理。

 

修復処置の概要

1.調査、採寸、写真撮影
作品の状況を詳しく観察し、採寸を行った後、修復前の状況を写真に撮って記録した。

2.描着力試験
作品の描着力(絵の具の固着力)の状態を調査した。描画部は水によく反応することが判明した。

3.PH試験
PH試験紙を用いて、作品料紙の酸化進行の度合いを調べた。この結果、PH4.5の酸性数値を示した。(PH7.5で中性。数値が小さくなると酸性、大きくなるとアルカリ性を示す)

4.乾式洗浄
修復専用のパウダー状の消しゴム、練り消しゴム等を利用し、画用紙表面に付着した汚れ、顔料などをできる限り除去した。

dryy-creane
ドライクリーニング作業 パウダー状の消しゴムに汚れを吸着させる

remove-tape
水を含ませた綿棒で丁寧に残存する接着剤を取り除いた

old-tape
取り除いたテープ、古い接着剤など

5.水洗
水溶性の汚損と酸性物質の除去を目的として最小限の水洗をおこなった。本作品は、とくに水に弱いため、プリザベンションペンシルを利用して処置を行った。水洗用の水は、精製水を超音波加湿器にて微細な蒸気にし、さらに加温。これを作品の表面から散布し、下部から強制的に吸引(サクションテーブル使用)すキる方法で行った。
ただし、パステル等顔料が付着している部分については、かえって顔料が画用紙中に深く入り込む可能性を憂慮してこの処置は行わなかった。

6.裏面に張られたテープの除去
裏面に張られていた茶褐色のテープの除去には、プリザベンションペンシルを利用した。テープの表面に加温した蒸気をあて、接着剤を膨潤、溶解させ、画用紙繊維が痛まないように少しづつ慎重に剥がした。テープの除去後、さらに画用紙に残る接着剤は、綿棒などで丁寧にぬぐい取った。

7.脱酸処理
前記の水洗の後、作品の裏面からアルカリ剤をスプレーした。この処置後、作品は全体にほぼ中性の7.5PHを示した。なお、脱酸処理には水酸化カルシウム水溶液を用いた。

8.変型修正
本作品(画用紙)は処置前、強い折損傷に加えて、激しい波打があった。変型修正は、周囲に厚手の和紙(石州紙/比較的強靱であるが、画用紙よりは薄く強度が低いと思われるものを選んだ)を取り付け、作品を間接的に加湿(作品を不織布に挟みこれをさらに湿らせた紙で挟む方法を用いた)した後、先に取り付けた紙の周囲に糊を付け、作業台に固定し、画用紙全体を乾燥と共に緊張させ、この後、さらに作品をプレスした。

Deacidification
スプレー式脱酸処置

t-dry
変形修正処置中

pressプレス乾燥中

 

9.破損の修復
作品下部の画用紙の破損部分は、損傷後、長い経年と摩滅等があり、接着の後、典具帖紙(てんぐじょうし/楮製の極薄い紙)とパウダー状のセルロースによって表裏を局所補強した。

10.作品の保護
作品の保護と、以後の湿度による画用紙の動き(折損傷は激しく、処置後なお不安定)を抑制するため、周囲に和紙を張り廻らせ、作品の裏面に置いたバックボードに間接固定する形にした。バックボードはPH8.5(TSスピロン製アーカイバルボード)の弱アルカリ性紙ボードを用いた。

11報告書
修復後の作品を写真撮影し、本報告書の製作をもって今回の修復作業を終了した。

 

 

◎藤田嗣治(ふじたつぐはる)

明治19年~昭和43年(1886~1968)
洋画家、陸軍軍医藤田嗣章の末子として東京に生まれる。1905年東京美術学校西洋画科に入学。1913年渡仏。パリで川島理一郎と共同生活を始めるが、この直後に第一次世界大戦が勃発する。この戦争前後にはモディリアニ、ピカソ、ザッキンらを知る。1919年にはサロン・ドートンヌに出品した作品がすべて入選する。乳白色の背景、墨による黒い輪郭線、その細密な作風によって名声を馳せ、1921年には同展の審査員となった。
1933年より日本に滞在。1938年に日本海軍省嘱託として数多くの戦争画を制作。戦後、戦争協力者としての強い批判を受けながら、1949年に再びパリへ赴く。
1959年にはカトリックの洗礼を受け、レオナルド・フジタと改名。続けて日本芸術院会員を辞任する。この後、フランスでおよそ20年間の生活を過ごし、宗教画に取材した多くの作品を描いた。1968年1月29日にスイス、チューリヒで死去する。享年81歳。1957年レジオン・ドヌール四等勲章受賞、1968年勲一等瑞宝章授与。

 

 

 

 

 

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