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絵画修復事例003.

 絹本彩色画『天台大師座像』
─作品と表装部が供に描かれた(描き表装)作品の修復─

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修復前の状況

御絵所 法橋了琢 『天台大師御画像』絹本著彩 

装幀形態:描き表装(仏式/真-草 様式)

全寸法:W783~786×H2129~2133ミリ(一部変型)

作品寸法:W558~561×H1209~1212ミリ

◎修復前の様子。表装部も描いた作品となっている。右天部に裂傷あり、全体に汚れ、変色、横折れが顕著であった。

◎作品構成概要

本作品は、基底となる材料を絹織物とし、膠を接着剤とした天然顔料によって天台大師の座像が描画されている。本作品の特徴としては、作品の装幀となる掛軸装の部分も、同じ料絹上に描画して表現している『描き表装』の型式となっている。なお、作品裏面、左下には『御絵所 法橋了琢』の記述(揮毫)と、二つの押印があった。
描き表装の形態は、仏式表装(真-草の型式)を表し、下地を暗緑色に塗り、群青、緑青、紅色の雲模様を描いた総縁(柱と天地)にあたる部分と、白地に金泥で牡丹を描いた中廻りと風帯によって掛軸装を表現している。
本来の作品となる部分は、上部に金泥と胡粉によって雲を表し、帳の下に、周囲に大きく空間をとって倚子に座した天台大師を描いている。天台大師像は、その纏う衣服の細部に至るまで細かな筆致で描画されている。
旧収納箱は、蓋に『天台大師御画像』と揮毫され、内部には両端に小物入れ(お香入れか)が設けられていた。

 

◎修復前の損傷状況

経年時の自然劣化によって、料絹自体が朽け、硬化、脆弱化している。さらに、今日までの展示、収納時における取扱いによって、様々な物理的損傷(擦れ、追衝、折れ、亀裂)を与えて来たことと共に、黴等微生物の発生と、その劣化等を原因とする汚損、加えて、小さな虫喰い損傷、その排泄物の付着を確認した。とくに彩色のない天台師像の周囲の料絹は、所々に糸の解れ、小さな亀裂、折れ、裏面の裏打紙の剥離による水泡状の浮き上がりが認められた。
修復前の目視観察による調査では、左右の側端を除いて(擦れなどによる絵の具の流出、剥離が目立った)、作品上には顕著な絵の具の剥離は認められなかったが、画面上にあるすべての絵の具の定着状態を調べたところ、予想以上に定着力が低下、脆弱化していることが分かった。


表装(作品周囲の装飾部となる)部分を描いたた部分には、天地、八双と、軸棒の付け根に大きな亀裂破損があった。裏面は、全体に裏打ち紙の糊離れが進行し、水泡上の剥離損傷が認められた。裏面の上部には、破損した八双の部分に、粘着テープによる補修痕が認められ、現在このテープは残存しないが、褐色に変質した接着痕があり、画面にも影響をおよぼしている。
八双に取り付けられた吊鐶(展示用吊金具)は、一部が大きく変型している。作品は全体に大きく変型し、天地、左右辺は歪み、直線ではなかった。

 

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修復前の裏面の様子

作品左上より浅い角度で光を当てて撮影した画像。
全体に横折れが顕著。裏打ち紙は変色し、部分的に剥離していた。

 

修復中の様子

古い裏打紙の除去作業中。描画部(人物像)裏面には裏彩色が施されていた。画面に塗布した絵の具の発色をより良くするために塗布されたものと思われる。

◎修復中の発見等

1.旧裏打は、総裏打、肌裏打の二層のみであった。

2.旧肌裏打紙を除去したところ、描画部分は、料絹の裏面からも彩色が施されていた(裏彩色/うらざいしき=表面からの彩色をより鮮やかに見せる為に裏面からも絵の具を塗る技法)。

 

3.絵の具に覆われていない(何も描かれていない空間部)部分については、処置前の目視観察において確認出来た箇所以外にも、旧裏打紙を除去後、料絹のちいさな亀裂や糸の遊離などが所々に発生していることが分かった。

4.取り付けられていた旧軸棒は、縦半分に割った形で、二つの材を組み合わせて一本の軸棒として利用されていた。

 

◎修復の目的と指針

本作品は、経年劣化の進行に加え、生物被害、物理的な損傷を受けており、全体に脆弱化し、描画部分、絵の具層の定着も弱かった。汚損が激しかった為、美観の向上には洗浄処置が必要であったが、作品の損傷状況を踏まえ、すべての処置は作品の保全を第一として、作品に対して出来るだけ穏やかな方法を検討して作業を行った。
今回の修復処置では、第一に定着力の低下した絵の具層の定着力強化すること。第二に糊離れ、剥離進行した旧裏打ち紙の除去と新規裏打ちによる『締め直し』作業によって、作品全体の基本的な強化、安定化させることを主な目的とした。

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修復後の状況

修復後の全寸法:W786×H2118ミリ 
(八双軸棒取り付け位置変更)
        
修復後の作品寸法:W557~561×H1208~1210ミリ 

◎修復後の様子。横折れや波打ちが解消され、鑑賞性が向上した。

 

◎修復処置の概要

1.調査採寸
作品の各部分の寸法を計測、記録し、修復処置前の写真記録を作成した。

2.簡易清掃
作品の表面に付着した埃などを柔らかい刷毛などを使って払い落とした。
比較的に絵の具の固着力が安定しているのを確認した部分については、わずかに湿らせた綿棒で軽く拭くか練り消しゴム等を利用し、可能な限り画面に付着した汚れを除去した。

3.定着力の調査
絵の具の定着強度調査を行った。調査は、作品上にあるすべての色に対して個別に行った。結果は、全体的に定着力が脆弱で、とくに絵の具の塗が厚く、数種の絵の具を重ねた部分は、下層または中間層に剥離進行が見られた。とくに群青、緑青、さらに胡粉の上に乗った金泥に定着力の低下が顕著で、部分的に、軽く刷毛で撫でただけで顔料が移動する箇所があった。

4.掛軸装の解体(付属部品の取り外し)
掛け軸を展開し、装飾金具、上部八双と、下部に取り付けられていた軸棒を取り外した。
軸棒は、ちょうど縦半分に裂いたような形で、半円形の材料を竹釘を利用して接合し、丸い棒として利用されていた。

5.絵の具層の定着強化処置
絵の具層を固定(定着強化)する接着剤ははウサギ膠を用いた。膠は精製水で適宜希釈し、絵の具の固着状況に合わせて、2~4%程度の水溶液を作り、数回に渡って塗布した。初回の作業は、とくに絵の具の定着が不安定な不部があった為、刷毛などの道具が作品表面に接触する作業を避けるため、コンプレッサーを用いて濃度の低い膠水をを噴霧、描画部全体に含浸させた。この作業によって、絵の具層をある程度安定させた後、さらに筆を用いて部分的な膠の塗布を行った。なお、今回の絵の具層の定着強化処置は、旧肌裏打を除去後、裏面からも行った。

6.洗浄処置
洗浄は画面上に絵の具の無い空白の部分に限って、浄化水による洗浄を行った。作業は、周囲の絵の具に出来るだけ水分が及ばないように強制吸引装置(サクションボックス)の上で行った。

7.画面の養生
旧裏打ち紙の除去に備え、画面を養生する為に表打ちを行った。表打ちは、まず布海苔を接着剤として薄い和紙を用いて行い、さらにレーヨンを混紡した和紙で裏打ちを行って強化した。

8.旧裏打ちの除去
作業は、作品の裏面全体に不織布を置き、この上にさらに加湿した吸水紙を置いて時間をかけ、作品裏面を間接的に湿らせ、程よく古い糊が膨潤したのを見計らって旧総裏打紙(最終裏打紙)を除去した。
旧肌裏打(作品に最初に行う裏打ち)の除去については、裏彩色のある可能性があったので、絵の具が移動、流出しないように、小さな範囲で、必要最小限の加湿を行って少しずつ慎重に除去作業を行った。
なお、作品裏面には揮毫による記述、上部上巻絹には押印があった為、これを確保し、別に洗浄、裏打ち処置を行った。

9.新規肌裏打(第一層目の裏打ち)
料絹の糸の解れや乱れを可能な限り修正し、新規に肌裏打を行った。接着剤は正麩糊を用い、希釈する水はフィルターでろ過したものを用いた。紙は国内産楮(草木灰煮熟、板干し)で製作された良質の和紙を用いた。

10.折れ伏せ(折れ、亀裂部の補強)
とくに大きな亀裂、折損傷の発生していた部分の裏面に、肌裏打後、2ミリ幅程度に裁断した和紙を局所裏打ちして補強した。

11.新規増裏打(第二、三層目の裏打ち)
作品全体を補強する為、増し裏打(楮/白土胡粉入)を二回行った。

12.補絹(欠失部分の補填)
料絹が欠失した部分に付いて、新しい料絹による補填を行った。劣化した作品の料絹とのバランスを少しでも調整するべく、補填に用いた料絹は、長期間太陽光に暴露、紫外線によって強制劣化させたものを用いた。

13.総裏打(最終裏打ち)
表装全体の寸法を決定し、裁断、耳折。宇陀紙にて総裏打(最終裏打/楮/白土入)を行い仮張りに張り込んだ。
なお、オリジナルの料絹については一切裁断はしていない。左右の直線(耳折)については、変型、あるいは欠失した部分については、料絹の補填と、裏打ち紙を残す形で調整した。なお先に確保した旧表装裏面にあった揮毫は、別に裏打ちの上、新規表装裏面に移植した。

14.補彩
大きく絵の具が剥離、欠失した部分と、先に料絹を補填した部分に付いて、水彩絵の具(英ウインザーニュートン製)で補彩を行った。

15調整
作品の表裏を数週間の間隔を開けて数回、交互に仮張り乾燥させ、仮張りより作品を取り外すごとに、裏面に強刷毛による撫で込と軽い裏摺りを行った。

16仕上げ
八双、軸首、吊鐶等装飾金具は再利用、軸棒、紐は新調した。十分に乾燥した掛軸を仮張りより取り外し、耳すきを行い、用意した軸棒等を取り付けて掛軸を仕上げた。なお、軸棒と、八双の旧取り付け位置は、損傷が大きかった為、若干位置をずらした(ただしオリジナルの料絹は一切切断していない)。
また、変型していた吊鐶は修正、剥離していた溶接部を再溶接。八双に取り付けられていた装飾金具で、接着テープの粘着材が付着していたものは、あらかじめ有機溶剤を用いて除去した。

17収納箱の製作(太巻き添軸の用意)
今後の作品の保存管理をより安寧な物にするために、関係者との話し合いによって、太巻き添え軸を新調し、同時に太巻き専用の桐箱も製作した。この際、旧箱の蓋には揮毫(箱書き)があった為、これを新規の箱の蓋の一部として嵌め込んで利用した。

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*新規に製作した箱と太巻き添軸

18.採寸、写真撮影、報告書作成
修復および新規表装完了後の写真撮影と採寸を行った。本報告書の作成をもって今回の修復作業を終了する。
      

 

◎法橋了琢法橋了琢

木村喬久(木村了琢)/名は廣俊、字は仲父、鳳郭と號する。京都の仏画 師、後に法橋に叙せられた。 宝歴十年没(1760)。

 

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