祐松堂商標絵画と美術品の保存修復 祐 松 堂               

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◎紙資料のトリートメント・脱酸性化処置

はじめに

一般に洋紙と呼ばれる紙、画用紙などには、インクや絵の具の滲み止めとして、硫酸バンド(硫酸アルミニウム)という化合物が添加されている。硫酸バンドを含んだ紙は、経年により硫酸を生成し、その強い脱水作用により紙中に含まれる水素と酸素を『水』として奪い、繊維間の結合を壊すため、この滲み止め剤は、紙の酸性劣化(酸性紙となる)の大きな原因とされている。
酸性紙の保存対策、酸性劣化の抑制処置としては、紙の中に含まれる、生成された酸を水で洗い流したり、化学的に中和をする。現在ではこの処置も様々な方法が開発され、作品、資料の形質や症状に合わせて、より有効な処置が選択されているが、今回、このページでは、比較的簡便と思われる処置方法をいくつか紹介する。なお、この処置は、紙資料、紙を支持材料とする版画作品などを対象とする。また水性処置( 水で濡らす、水に浸ける)となるため、基本的に水溶性のインクで文字が書かれていたり,水溶性の絵の具を使って描画されている様な作品に対しては、その対処をして後実施するか、基本的に処置
できない。
加えて、この処置は水溶性の汚れ、汚染物質を除去することができるが、俗にシミとかフォクシング(黴害によるものが多い)などと称される斑点状の変色、油性の汚損、セロテープなどの接着剤の痕を除去することも出来ないし、いわゆるしみぬきや漂白処置ではない。ここで紹介する脱酸性化処置とは、例えていうならば、紙の体質改善処置とイメージしていただきたい

 

脱酸処理の考え方と方法

脱酸性化処置の方法、考え方としては以下の三つがあげられる。まず第一に、紙の中に生成された水溶性の酸性物質を洗い流し、軽減、除去すること。これによって基本的な紙の浄化が出来る。第二には、アルカリ剤を溶かし入れた水に浸け、紙中に含まれる酸性物質を中和させること。そして、第三には、このアルカリ性剤を紙の中に微量残留させ、処置後の状態の維持、再酸性化の抑制を図るといった処置となる。私の工房で行う実際の処置としては、これらの処置法をそれぞれ単体で行うのではなく、状況に応じて組み合わせて行っている。
脱酸性化処置に用意するものは、洗浄液として、あるいは中和剤を溶かすための純水または精製水。脱酸性化、中和処置をおこなう薬剤として、水酸化カルシウム、炭酸水素カルシウム、炭酸マグネシウムなどのアルカリ性の化学薬品があげられる。
処置方法としては、薬液の中に作品や資料を浸す方法の他、噴霧器など使って薬液をスプレーする(含浸させる)方法に加え、アルカリ性ガスを用いた気層法【きそうほう】と呼ばれるものがある。

 

処置方法と手順

1.作品の調査
水性脱酸処置を行う際には、対象物に水分を与えることになる。たとえば劣化したり、痛んで脆くなった紙は水中に投じると容易く繊維がバラバラになってしまうこともあるし、水溶性のインクや染料、絵具等があれば滲んだり流出したりすることは避けられない。したがって、脱酸処置を行う前には必ず、処置が出来るかどうかの調査をしっかりとおこなわなければならない。

2.脱酸性剤の準備
脱酸製剤は最も簡単なものとして水酸化カルシウムの利用があり、これは常温の水(できれば純水、なければ最低でも精製水を使う。水道水は不純物、配管などから溶け出した金属イオンが多いので使わない)1リットルにおよそ1.5(正確には1.43グラム溶ける)を入れて撹拌し、しばらくおいてその上澄み液を使う(冷蔵庫で冷やしておくと良く溶ける)。
炭酸水素カルシウムを利用する場合は、ソーダサイフォン(写真の銀のボトル)というソーダ水製造機を利用する。作り方は簡単で、ソーダサイフォンの中に純水1リットルと炭酸水素カルシウム1.1グラムを入れてしっかりと栓をし、専用の炭酸カートリッジ(二酸化炭素のボンベ/炭酸水素カルシウムは炭酸水によく溶ける)で炭酸ガスを注入。よく撹拌の後に冷蔵庫で冷やし、途中で出してはまた撹拌することを数回おこなうとよく溶ける。
 

脱酸性化処置の道具
◎画像左奥よりソーダサイフォン,炭酸水素カルシウム,CO2ボンベ,電子計量器


3.前処置 / ドライクリーニング
洗浄、脱酸処置の効果、効率をあげるため、表面に汚れが付着していおるような作品や資料は、あらかじめ柔らかな刷毛やスポンジ、練り消しゴムやパウダー状の消しゴムなどを利用して埃や汚れを取り除いておく。

◎ここ

 

 

【ドライクリーニングの一例】

ここでいうドライクリーニングとは、衣類などに用いる石油系洗浄液を用いる洗浄方法ではなく、粘着、または吸着性能のある材料を使って物理的に汚れや付着物を取り除く方法を指す。

左の写真は消しゴムを粉末状にして対象物上に広げ、軽く撫でる様にして消しゴムに汚れを吸着させる作業。消しゴム以外にもスポンジなどを用いる。消しゴムが材料のもつ粘着性によって汚れを除去するのに対して、スポンジは細かな穴に汚れを引っ掛けて除去することになる。何れの方法も力を加え過ぎれば、どんな紙でも毛羽立つので、とくに傷んだ紙への対応は注意が必要。

で紹介するドライクリーニングとは,クリーニング店で利用する石油系溶剤によるクリーニングではなく,濡らさない,湿らさないで,乾いた状態で清掃するという意味で”ドライ”クリーニングと呼んでいる。左の画像は,細かく粉砕した消しゴムで軽く撫でる様にして,版画余白の汚れを落としているところ。消しゴムの持つ粘着性により付着した汚れを取り除くことが出来る。


4.水性洗浄,脱酸性化処置
きれいな水に浸ける、アルカリ剤を溶かした水に浸け置きする方法は、ほか方法に比べて高い効果が期待出来る一方、劣化が進み、脆弱になった紙を水中に投じることは破戒や損傷のリスクが大きいので、くれぐれも事前の調査と作業中の注意が必要。

浸漬する前には処置する作品や資料をあらかじめ湿らせておくとよい。水というのは以外と染込まないもので、とくに大きな力でプレスをかけて密度の大きくなった版画作品の用紙や、著しく変質、変色を来したものもなどは、紙の奥深くまでなかなか水分が到達しないので、紙に呼び水を与えておく。
水にアルコールを少し加えると、表面張力がちいさくなって、厚い紙,密度の高い紙も湿らせやすい。処置の直前に,アルコール水溶液をスプレーし、よく湿ったところですかさず処置液につけることで、紙の深層,隅々まで水が行き渡る。

この液中に浸漬してしばらくすると、紙内部に含まれた酸性物質や水溶性の汚染物質が溶け出してくる。状況にもよるが、初回およそ20~30分程度浸け置き、薬液が汚れたら新しいものに交換してさらに浸漬させ、汚れが出なくなる(肉眼で確認できなくなる)まで数回にわたって同じ処置をくり返す。

処置後は清潔な紙に挿んで余分な水分を除き、さらに変形しない様に新しい吸い取り紙に挟んでプレスして乾燥させる。プレスによる乾燥は、資料によっては料紙の風合いを損ねたり、版画のプレートマーク、エンボス加工(空摺り/色をつけないで凹凸をつける技法)などを消失させる恐れもあるので注意をしなければならない。

◎処置液に

 

【浸漬処置中の資料】

しばらくすると汚れが溶け出してくる。
この後、15~20分程度置きに水を交換し、目視で汚れが確認できなくなるまでこの作業をおおこなう。
脱水作業中に、吸い取り紙などに汚れがつくようであれば洗浄不足。

最後にあらためてカルシウムなどを溶解させた水溶液に浸して紙中に微量のアルカリ剤を残し、脱酸性化処置は完了となる。

浸けてしばらくすると、水溶性の汚染物質はとけだしてくる。こののち、15~20分おきに 洗浄液を交換する。左画像の様に褐色の汚れが出てくる様な場合は,目視で色が無くなるまで作業を繰り返す。
そして,洗浄液が汚れなくなった所で,あらためてアルカリ剤を溶かした水溶液に作品、資料を浸け、アルカリ剤をしっかりと含浸させて脱酸性化処置は完了。

 


おわりに

以上、今回は簡単に紙資料、紙を支持体とする作品の洗浄方法、脱酸性化処理方法を紹介した。なお、言うまでもないが、ここで以上の処置を全ての対象に薦めるものではない。私たち修復家が処置対象とする物には、一つとして同じ物はないかと思うし、その経年劣化、症状も様々である限り、処置にもまたこまごまとしたアレンジが必要となる。
紙を水に浸けるというのは結構なリスクを伴うと考えて間違いはないと思う。紙は水を含むと脆くなり、注意して扱わないと簡単に損壊する。水は汚れだけではなく、インクや絵の具も溶かす。水を含んだ紙は乾燥すると変形し、波打ち、サイズも微妙に変わる。
今回紹介させていただいた紙資料、紙作品の洗浄、脱酸性化処置も含めて、全ての修復処置に際しては、あらかじめ処置対象の綿密な調査とテストを十分におこない、処置のメリットもデメリットもしっかりと理解した上で、十分な準備をして処置に臨まなくてはならない。

 

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